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お出入り自由?それとも完全室内飼い?

路地の陽だまりで、目を細めて香箱を作っている猫、道行く人を遠巻きに眺める猫、集会にでも参加するのか足早に通り過ぎる猫、万年塀の上で身繕いに精を出す猫、目が合うと親し気に声を掛けてくる猫…岩合光昭氏や太田威重氏がファインダーで切り取る猫のいる風景…そんな光景をいつも身近に見ていたい…人間との共存と野性の間を器用に行ったり来たりする猫にとって、好きなときに好きな場所を歩くことこそ自然に叶う…

かれこれ半世紀のあいだ猫と暮らしてきたneco、それ以上長いあいだ猫と暮らして来た『おばあちゃん』は、ずーっとそう考えてきました。そして、そのようにしてきました。ロッキーとなっちゃんが交通事故の犠牲になった日まで。

外の生活には様々な危険が伴うことは頭では分かっていました。猫エイズ等ウィールスへの感染、思い掛けないケガ、迷子の危険、もちろん交通事故…それでも家の中の狭い空間しか与えられない不自然で息苦しい生活よりは、遥かにましだと思っていたのです。先天的なものか、喧嘩による感染なのか、猫エイズ陽性の子もいましたし、木登りの時に刺さった棘が化膿して開腹手術した子もいました。それでも猫エイズは発症していないのか、その恐さは知らず、開腹手術をした子もケロリと元気になり、外の生活の危険の大きさが実感として湧かなかったのです。
2年半前、立続けに2匹を交通事故で失って、かけがえのない命がぶつっと断ち切られた時の苦悩を味わい、はじめて、考えを改めなければならないことを肌で理解しました。

ロッキーの6匹の兄弟たちは、外に出たいと泣き、鍵のかかっていない窓がないかと、家中の窓を引っかき続けました。自由に出してあげたい、好きな時に好きな所へ行かせてあげたい…その気持ちに変わりはありませんし、その方が遥かに自然に叶っていると今でも思ってもいます。それを室内に閉じ込めるのは、愛猫を失った人間の苦しみからくるエゴなのでしょうか?もしかしたら、そうかもしれません。外の危険の犠牲になった本人(本猫)の胸の内は、残念ながら聞くことができないのですから、どう判断しても人間の身勝手な判断でしかないのです。

ただ、外の危険と家に閉じ込められる猫の閉息感を秤にかけることは無理としても、今の日本の状況下、やはり室内飼いせざるを得ないのではないかと思うのです。「ついこの間まで、飼い猫を自由に外に出していたんじゃないの?随分勝手な言い種じゃない!」とお叱りを受けることを覚悟して、あえて言わせていただければ、まず、ノラちゃんの問題があります。衛生局に持ち込まれるノラちゃんの数はこの10年、減っていません。飼い猫が雄の場合、自由に外に出すことでノラちゃんを増やしてしまっている実感はないことでしょう。でも確実にノラちゃんを増やしているのです。飼い猫が雌の場合、思いがけず子供が生まれ、里親も探しきれず、最悪のシナリオを辿るという、あってはならない状況を招くかもしれません。

去勢と避妊をしれいれば外に出しても、と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでまた別の問題が浮かび上がります。ご近所に入り込み、お庭を荒らしたり、家や車を汚したりする、いわゆる『猫害』問題です。「ノラもたくさんいることだし、家の一匹くらい」と考えがちですが、飼い主でなんとかできる「家の一匹」だけは、せめて猫害を起こさないようにしたいものです。『猫害』について議論している掲示板を覗いてみると、「ノラなら諦めもするが、飼い猫に荒らされては、怒り心頭。飼い主のモラルはどこにある?」という書き込みが多く見られます。猫がお庭を荒らすのは、何も今に始まったことではありません。一昔前だったら「こらあ、ドラ猫め!うちの庭を荒らしおって!!」と帚を振りかざして猫を追い払うおじいさんの姿があちこちで見受けられたことでしょう。その帚が、今では裁判に変わりつつあります。帚の方が人情味があるように思いますが、そんな風に思うこと自体、『猫害』の片棒をかつぐ人間には許されることではないのかもしれません。

猫も人間社会の流れの中で生きています。その流れの中で、今、飼い猫は自由に外を歩く自由を犠牲にしなければならないのかもしれません。賢い猫のこと、限られた空間で最大限楽しむ方法をきっと見つけ出すでしょう。私たちもまた、日頃の愛猫に対する感謝を込めて、できる限り猫のニーズに応える家づくりをしたいものです。

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