善福寺公園

May 25, 2008 reported by neco


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このところ、週一のお休みは、もっぱら散歩を楽しんでいる。車で一走りしてレストランで昼食を取り、その後、ぶ〜らぶら。(車はおばあちゃんに乗って帰ってもらいます。)幸い、最寄駅の西荻周辺は、店主のこだわりが心地よく伝わるお店が多く、なかなか面白い町だ。今回も食事をした善福寺のレストランから西荻を目指して歩いた。
歩き始めてすぐ、住宅街の一角に『善福寺』を発見。このお寺、鉄筋コンクリート作りで、地名の善福寺の由来となったお寺としては違和感がある。家に戻り調べてみると、このお寺は、福寿院という寺院が、後に地名をとって善福寺と改名したものだという。地名の元となった善福寺の方は、江戸時代に災害により壊滅し、そのまま廃寺になってしまったそうだ。
写真の善福寺は、いかにも檀家さんのためのお寺といった感じで、門をくぐるのも憚られた。
塀にそって角を曲がってみると、石灯籠が目に飛び込んできた。上部に鷹が羽を広げ、台の中程には亀が見える。時代を感じさせるもので、福寿院と呼ばれていた頃から、ここに立っていたのだろう。脇に立看板も見え、お寺の中に入れれば、その由来を知ることもできたのだろうが。
善福寺は、立派な家屋が並ぶお屋敷町だが、その中に、まるで下町のような一角が突如姿を現す。幅3mほどの路地の両側には、古木が枝を張り、緑のトンネルを作っている。庭も門構えもない家が肩を寄せ合うように建ち、玄関先での井戸端会議が似合いそうな、レトロな一角だ。
こんな所には、猫がいるものだが……とキョロキョロしていると、三毛が一匹、顔を出した。茶も黒も淡い色合いの、しなやかな三毛だった。慌てて、カメラを取り出し、傍に寄って構えると、逃げるどころか、鼻先をどんどんレンズに近づけてくる。ちょ、ちょっと、ピントが合わないよ〜。手間取る私に呆れたのか、さっさと背を向け、家の裏に歩き去ってしまった。写真は撮れず、残念無念。

しばらく歩くと、善福寺公園に出る。いの一番に出会ったのが、何とまた三毛猫だった。この三毛さん、私の無念さを知っているかのように、ゆっくりと木陰から姿を現し、カメラを構えるゆとりを与えてくれる速度で歩を進め、垣根をくぐって道路を横断し、空き地の先へと消えていった。


この猫は、広大な善福寺公園を我が庭としているのだろう。気の向くままにやって来ては、土と緑の匂いを楽しみ、池の水面に鴨やサギが描く波紋を眺めて、あくびを一つ。そして家路につく。何とも羨ましい限りだ。

善福寺公園には南北二つの池がある。ここは善福寺川の水源であると同時に、杉並浄水所の水源にもなっている。23区内で、湧水が水道の元になっているのは、ここだけだそうだ。湧水量の豊富な善福寺池は、井の頭公園の井の頭池、石神井公園の三宝寺池とともに、武蔵野三大湧水池として知られている。

武蔵野の雑木林を思わせる木々が池を囲み、野鳥や草花も豊富なこの公園に立つと、都会の喧噪をすっかり忘れることができる。
週末は子ども連れも多いが、週日の昼下がりは、大人の空間だ。ベンチで本を読む人、イーゼルを立てて写生をする人……静かに時が流れていく。
善福寺池から善福寺川へと水が流れ込むことろは、低い水門になっている。その辺りに小さな人垣ができていた。何かいるの?と覗き込むと、水門を出た水が溜まるところに、体長70,80センチの鯉の群れがいた。全日の朝まで降り続けた台風まがいの大雨で池が増水し、ここに流れ出たのだろ。水が引いた後は、注ぎ込む水の量も少なく、鯉の滝登りはできそうにもない。大雨の影響で水は濁り、水かさもない小さな溜まりで、行き場を失った鯉たちは、ぶつかり合うように泳いでいた。
一カ所、多少澄んだ水が流れ込むところには、酸素を求めてか、流れに向って鼻を突き出す鯉もいる。
公園前を横断する通りを走って渡り、善福寺川を見下ろすと、先ほどの溜まり水から流された鯉が数匹、体半分を岸に乗り上げるように跳ねている。そんな鯉を池に戻そうと、青年が大きな網に掬い取っていた。
阿吽の呼吸で、人垣の中の男性一人と、この青年とで、バケツリレーならぬ網リレーが始まった。
こんな状況を、公園管理の人は知っているのだろうか。兎にも角にも管理事務所に電話を入れなくては!だが、私の携帯は電池切れ。こんな時に、もう、と自分の用意の悪さを罵っても始まらない。と、携帯を差し出してくれた人がいた。思い掛けない連帯感に勇気づけられながら、看板に書いてある番号をダイヤルした。
「鯉の件は、こちらでも把握しており、目下観察中です」
「観察中って、鯉、このままでは死んじゃいますーっ!」
私の取り乱しように、管理人さんが来てくれることになった。
自転車で駆けつけた2名の管理人さんに、私はじゅんじゅんと説かれることになった。まず第一に、このような状況は珍しくないこと。ここに溜まった鯉は、善福寺川を下るか、跳ねて池に戻るかし、決して死んだりしないのだそうだ。こんな水位でも、池に戻れるらしい。それどころか、善福寺川の下流で育った鯉が、川を上り善福寺池まで来る例も多いと聞かされて、私は「はあ」と気の抜けたような返事をするのが精一杯だった。水路のような所から流れ来んでいるのは仙川で、ここからも鯉はやって来るのだそうだ。一番大きなオレンジ色の鯉は、善福寺池で育った鯉ではない、と管理人さんは断言した。
善福寺池では、鯉密度の増加が生態系を壊しているという。公園にやって来る人が池の鯉にパンなどの餌を投げ込み、鯉の繁殖が進んでしまうのが大きな原因となっている。
鯉の他にも、人が持ち込んだブルーギルやブラックバスなどの外来魚が、睡蓮の根を喰いちぎり、小魚を食べ漁る。こんな身近な池でも、人が介在した環境破壊が起こっていた。
一本のSOSから、図らずも善福寺池が抱える深刻な問題を知ることになった。
外来魚の持ち込みなど論外だが、池の鯉に投げ込む一片のパンが、自然に保たれる環境を人為的に壊すことになる。鳩を見ても何かをあげたるなる私の性分を、今一度、真剣に考え直さなければならないのだろう。

錘りを飲み込んだような感触を覚えながら、善福寺公園を後にし、西荻へと向かった。