神代植物公園〜深大寺

April 5, 2008 reported by neco


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ロッキーと一緒にお花見に行ったのは、もう8年も前のことになります。その時のロッキーの喜びようにこちらが感激して、ロッキー亡き後も毎年猫を2匹ずつ交代でお花見に連れ出しました。一巡したのが2年前。結局、ロッキー以外誰一人お花見を楽しんだ猫はいませんでした。「怖い、怖い」とキャリーの隅っこで固くなるばかり。猫たちには、とんだ迷惑だったようです。凝りもせず7年も続けたのは、あの子なら喜んでくれるかも、という僅かな可能性と大きな期待があってのこと。一巡してしまうと、さすがに諦めざるを得ません。以来、お花見は人間だけで出掛けるようになりました。

今年のお花見スポットは、神代植物公園。昨年、新聞でこの植物園のことを知り、4月の末、藤の盛りに訪れてから、何度か足を運びました。広大な敷地に、手入れの行き届いた植物たち、チリ一つ落ちていない清々しい空間は、深呼吸のできる数少ない場所です。動物を連れて入ることができないので、猫と出会う可能性はゼロに等しいのですが、まずは植物園を写真でお楽しみください。

4月1日、爆弾低気圧が猛威をふるい、各地に季節外れの吹雪の被害をもたらしました。神代植物公園にも強風が吹き荒れ、生木の枝が降ってくるほど。でも、その強風が雲を吹き飛ばし、青空が満開の桜と見事なコントラストを作ってくれました。桜も、見頃になって間もないだけに、どんなに風に煽られても、花弁一枚散らしませんでした。
正門から入り、最初に目に入る桜並木は、桜の木の裏側になります。銀色の光沢のある幹は、桜の花を背景に黒々と、思い思いの曲線を描いています。それはまさに自然の造形美。一幅の絵を見るようです。
しだれ桜に桃の花……同系色の見事な競演です。
こうして花開いくれた木々に感謝しながら、ゆっくりと歩を進めます。
でも、何かが足りないような気がしてきました。
そう、動物の息づかいが聞こえないのです。
それまで梢を見上げるように歩いていたのに、突然視線が下がり、動物を探してしまうのは私の性でしょうか。
右手に池が見えた途端、私のアンテナが信号を受信。近づくと、いました、いました!
のんびり水かきを動かすカルガモと、お花見しながら甲羅干しをする亀さん。
何と云うのどかな風景でしょう。喉の渇きにも似た不足感から解放され、ほっとするやら嬉しいやら。自然は、植物と動物の両方が存在してこそ自然なのだと、改めて痛感しました。人間は、自然にとってどんな存在なのでしょう。
週末の夜にライトアップされる桜並木。
4月の半ば過ぎには、桜と入れ替わるように、藤棚に藤の大きな房が垂れ、薄紫と白の帯が見られることでしょう。そして5月には、大輪のバラのパレットがこの景色を彩ります。
深大寺門から植物園を出ると、右手に深大寺動物霊園があります。愛猫、愛犬の名前を染め抜いた青紫の幟が連なって風にはためきます。胸の中で手を合わせ、一礼して坂道を下ると、すぐ左手に元三大師堂への横門があります。足の向くまま境内に入り込むと、いきなり視界に飛び込んできました。猫です!
毛並みから推して、飼い猫ではなさそうですが、その威風堂々たる佇まいに、そんな憶測すら愚かしく思われてきます。
お堂では説法が開かれているのか、大勢が正座しており、お参りする人も引きを切らないのですが、この猫君、全く動じる様子もありません。
階段を上りながら、「トラや」「シマー」など、思い思いの名前で呼びかけても、手を伸ばして猫君の至福の時を台無しにするような不届き者は一人もいませんでした。

元三大師堂は、正歴2年(953年)時の天台座主、 元三慈恵大師作のご尊像が祀られている霊験あらたかなお堂なのですが、ここで撮った写真は、猫君だけ。そう云えば、お堂全体をじっくり眺めることも忘れていたっけ。

深大寺の山門前には、お蕎麦屋さんが軒を連ねています。他に楽焼のお店があったり、ちょっとした観光気分。その外れに水生植物園があります。ショウブの頃は、色彩に溢れるのでしょうが、今はまだ冬枯れの名残を残しています。何だか、河童が出そう。と、思ったら、一羽のサギに出会いました。強い向かい風に挑むように、身を低くして歩くサギ。「一人で寂しくないのかなあ」……ぽつんとお父さんが呟きました。
お花見に出掛けたつもりが、いつの間にか動物探しになってしまったような……
もちろん、下戸の私には、最高のお花見でした。