猫三昧縁起 Part 2
猫三昧縁起


猫三昧縁起 Part 2(2003年元旦)

ホームページ『猫三昧』のアップロードに至る経緯は、『猫三昧縁起』に記した通りです。「一人の限界を超えて『猫』と向かいあいたい」とあるのは、過去十年減る事のなかった殺処分となる猫たちのこと、目やにで塞がれた目で何かを訴えようとする道端の猫たちのことが頭にあってのことです。でも、何をどうすればいいのやら、具体的な考えが何もないまま、いえ、むしろそれを探るために、HPをアップロードしました。
そして皆さんのアクセスに励まされながら、やみくもに更新を続けるうちに、いつの頃からか自然に、このHPを通して何ができそうか分かってきました。
以下「『プラス・ワン』しませんか?!」と題して、記してみようと思います。

◆『プラス・ワン』しませんか?!
Neco家では、これまでも常時数匹の猫と一緒に暮して来ましたが、6匹の兄妹を一度にまとめて家族に迎えたのは今回(2000年4月のことですが)が初めて。以来、彼等と先住者、新入りを間近に見ながら、毎日のように思いも寄らない発見に泣き笑いしています。それは、人が忘れかけた他への気遣いであったり、弱い者を守り育てる深く広い情愛であったり、大勢の中で自分をどう生かすかという知恵であったりもすれば、情け容赦のない野生の掟でもあります。そんな猫たちに囲まれての暮らしは、neco家の生活をどれほど心豊かに、楽しく、潤いのあるものにしてくれていることか。
そんな毎日をレポートすることで、今一匹の猫を飼っている方がもう一匹、今二匹の猫を飼っている方がもう一匹と、『プラス・ワン』していただくことに繋がれば、こんなに嬉しいことはありません。

人間の気紛れや無責任の産物である猫たちを一匹でも減らす上で、縁あって出会った猫を家族に迎えることは、もしかしたら、一番たやすい事なのではないかと、necoは考えています。なぜなら、それには自ずと限界があり、救いきれない多くの猫たちに対して、余りに無力だからです。でも、もし、家族に迎えてくださる方が一人、二人と次第に増えていくなら、それが最高の解決になることも、また確かだと思うのです。かと云って、猫の嫌いな方や猫を飼えない方に、それをお願いするのは無理というもの。ならば、今、猫と暮している方に多頭飼いの素晴らしさをお伝えし、necoの経験をありのままに記して、『プラス・ワン』を考えていただこう、『プラス・ワン』への躊躇を取り除いていただこう、そうすれば、多くの『プラス・ワン』の猫たちが多くのあたたかい腕に抱き取られることだろう…と強く強く思うのです。

年々平均寿命が伸び、20年以上にもなる猫との日々は、観念を追い掛けたり、理屈で割り切ったり、無理を重ねたりして暮し通すことはできません。ですから、necoはありのままを素直に、何の飾りもなく、お伝えしていきます。獣医学の知識もないnecoは、とんでもないことも知らずにしでかしているかもしれませんが、それも含めて、necoの毎日の記録が多くのみなさんの「『プラス・ワン』もいいかも」に繋がっていったらと願っています。

『猫談義』に投稿してくださっている方の中にも、わかさんの54匹を筆頭に多頭飼いの方がたくさんいらっしゃいます。その方々の経験と知恵も、あなたの『プラス・ワン』を力強く支えてくれるでしょう。

2003年の年頭にあたり、皆さんの『猫のいる日々』(大佛次郎氏の著書の題名を拝借)が明るく楽しいものでありますよう、お祈りしております。


猫三昧縁起

このホームページの後半のセクションはNecoの猫バカ振りの御披露に尽きるのですが、Neco家の毎日が猫中心に回るようになったきっかけをお話ししておきましょう。

私、Necoのそばには、生まれたときからずっと猫がおりました。当時の飼い猫が乳飲み子だったNecoの顔に覆い被さって眠っており、あわや一命を落とすところだったとか。以来、我が家に猫が絶えることはありませんでした。何かの縁でやってきた猫、我が家の入り口に捨てていかれた猫、そんな猫たちと暮らしてきました。今も健在なファイトもその中の一匹で、彼等はNeco家の生活の彩りであり、潤いでありました。それでも、彼等と私たちは、人間と猫という関係だったのです。

人間と猫という境目がなくなったのは、ソクラテスという一匹の猫の出現でした。Neco家の前の道路に小さなネズミの死骸さながらにころがされていた小さな小さな猫。生まれて間もないその猫は、栄養失調で目も開かず、ボロ切れのようでしたが、高カロリーミルクのお陰で元気を回復し、それは愛くるしい猫に成長しました。思慮深く、いつもソファの背に向かって考え事をしているような素振りから、ソクラテスと命名。そのソクラテスの変調に気付いたのは、1歳になるかならないかの頃です。爽やかな風と穏やかな陽射しの4月のある日、椅子で眠っているソクラテスを目を細めて眺めていたNecoははっとしました。呼吸がどう見ても浅いのです。ファイトやマロンの呼吸のペースと比べると倍以上の回数呼吸をしている。ラブリー動物病院に駆け込みました。検査の結果、猫腹膜炎ウィルスに感染していることがわかりました。親からの胎内感染だろうとのこと。それは死の宣告でした。肺の外側に溜まった水を抜き、一時症状は改善したものの、インターフェロンの注射と飲み薬を続けても、確実に最期の時は忍び寄ります。物言えぬ猫故に、Neco家の面々は細心の注意と最大の祈りを捧げました。祈りが通じてすっかり治ってしまったのかと思うような日々が3ヶ月続きました。家族が帰宅すると、ダッシュで玄関に出迎えるソクラテス。Necoの靴下を宝物のようにしていつも持ち歩くソクラテス。毎晩おばあちゃんと添い寝するソクラテス。それでもおばあちゃんが目を醒ますと、いつでも目を開けているというのです。一睡もしていないというのです。8月頃から食べる量が減ってきました。9月に入ると、お水しか飲めなくなりました。9月も下旬、息子の部屋のベッドの下に入り込みました。満足に歩けない体で、ベッドの下から這い出し、トイレに向かうソクラテスに、トイレに行かなくてもいいよ、と声を掛けました。おしっこに濡れた体をやさしく拭いてやることしかできません。10月、おばあちゃんが足の手術の為に入院しました。ソクラテスと最期の別れをしての入院でした。おばあちゃんの退院の前日、ソクラテスはあれほど深く入り込んでいたベッドの下から這い出してきました。ゴロゴロと咽を鳴らしています。その晩、ソクラテスは本当に久しぶりにNecoの腕の中で寝ました。翌日は退院したおばあちゃんの腕の中で眠りました。そして次の日、永遠の眠りにつきました。

ソクラテスは生を生きただけかもしれない。でもNecoはこれほど『壮絶』な生、『尊厳』に満ちた死を見たことがなかったのです。おりしもバブル崩壊の泥沼がNeco家を丸飲みしそうになっていました。ソクラテスはその短い一生で、Neco家の一人一人に現実を受け入れ、真摯に生きる『勇気』という大切なメッセージを残していきました。物言わぬ者のメッセージはNeco家の一人一人の胸の奥に深く深く刻まれました。以来、物言わぬ者、猫が、物言う者、人以上の存在になったのです。

続くロッキーとなっちゃんについては、『ロッキーの陽だまり』という本に綴りました。大人に向けたノンフィクション物語です。目下出版準備中ですが、完成しましたらお知らせしますので、ぜひ御一読ください。

ロッキーに続いてロッキーママと6匹の弟妹を迎え、Neco家の物言わぬ家族は総勢11匹に膨れ上がり、Neco家は文字どおり猫中心に明け暮れるようになりました。一人一人個性を持った猫たちは、たくさんの幸せと生きる知恵を与え続けてくれました。

自分の大好きなことを探し求めてサラリーマンを辞め、3年かかっても見つけられずに悶々とした日々を送っていたNecoは、ある日、それがいつもそばにあったことに気付いたのです。『猫』でした。毎日生活を共にしてきた『猫』でした。『猫』を切り口に世の中を見てみると、面白いほど世界が広がっていきました。『大好き』に気付くと好奇心が鎖のように繋がっていくからです。と同時に、一人の限界もおぼろげに感じるようになりました。猫好きの人々、時には猫嫌いの人々とのコミュニケーションを通して、一人の限界を超えて、『猫』と向かい合ってみたい。──それがホームページ『猫三昧』となりました。構想から公開まで何と半年。その間にNeco家に縁りの猫たちも『Neco家の猫紹介』のセクションで紹介した15匹からさらに4匹増えています。どこかで更新しなくては…。

ヨチヨチ歩きのホームページですが、みなさんと一緒に大きく大きく育って欲しい、育てていただきたいと願っています。

このHPを集いの場として、人の輪が広がるよう、そしてその輪がしっかりとした形あるものとなるように、よろしければ『猫三昧 CatChut Club』にご登録ください。
よろしくお願いいたします。

Top of This Page