答は……? (H.16.9.5)

チョコ(我が家の新入り4匹の母猫。ステーキ屋さんがこう呼んでいる)
のふっくらとしてきたお腹が、私を焦らせた。早く避妊に連れていかなければ。一回出産した母猫の次ぎの妊娠がいかに早いかは、ロッキーママに教えてもらっていた。とは言っても、いつ見ても、子供たちと行動を共にしているチョコには、妊娠のきっかけすらないように思えた。ステーキ屋さんと私、それに最近では3階の事務所に勤める女性もご飯をあげていて、栄養過多気味の猫家族だけに、幾分ふっくらしたお腹も、食事のせいとも考えられた。チョコは、つい2ヶ月前まではお腹がげっそりと窪み、両脇の皮がくっつきそうだったのだから、今が本来の姿とも言える。そう思うことで、触ることのできない、警戒心の強い猫を捕獲する時の恐怖を先送りにしてきた。それでも、もう時間がない、と私の体中に警鐘が鳴ったのは三日前だった。

捕獲器で捕獲するか、キャリーを使うか迷い、捕獲の光景を思い浮かべては、激しい動悸に眠れる一夜を過ごした翌朝、トリの唐揚を持って会社に向かった。事務所の中には、捕獲器とキャリーが並んで置かれている。私が選んだのは、やはりキャリーだった。キャリーの扉は、捕獲器のように自動的に閉まらない。私の瞬時の行動が成否の鍵を握っている。一瞬でも逡巡しようものなら、失敗に終わる。捕獲器の方が成功の確率は高かった。ただし、子猫3匹の後ろにいる母猫だけを、うまく捕獲器に誘導することの難しさがあった。それより何より、子猫たちの目に、捕獲器の中で暴れ回る母猫の姿を見せたくなかった。母猫の体にも傷をつけたくなかった。キャリーを使っても、チョコは暴れるだろう。だが、キャリーの中は見通すことができない。音はすれども、姿だけは隠すことができるのだ。

いつもと変わらぬ歩調で歩き、いつも通りの口調で朝の挨拶をしながら、私を待つチョコに近付く。チョコは、私への挨拶なのか、子猫への食事の合図なのか、いつものように3回、穏やかな声で鳴いた。ほどなく、3匹の子猫たちが、あくびをしながら、フェンスの隙間から顔を出した。私は、3つの器に持参したトリの唐揚を取り分け、子猫の前に置く。いつもは、一匹が私にじゃれついたり、遊び始めたりで、3つの器のどれかが手付かずになっているのだが、今回ばかりは、トリというご馳走に、3匹は脇目をふらず食べ続けている。チョコも、トリの臭いに、鼻をくんくんさせながら、自分のお皿を探している。私は、トリをたっぷり盛ったお皿をチョコの鼻先に差し出し、それを私の脇に置いたキャリーの中にいれた。
(さあ、中に入って、ゆっくり、たくさん食べなさい)
だが、チョコは、いつものように中に入ろうとしない。顔だけ入れては、さっと身を引く。キャリーの一番奥に置いてあるお皿には、届きようもない。トリの誘惑より、いつもと違う食事への警戒が勝っているらしい。何度もお皿を取り出し、チョコに見せてはキャリーの奥に戻すこと、数回。ようやくチョコの体の半分がキャリーの中に入った。私の動悸が激しくなる。体を静止したまま、そっと、キャリーの扉の把手に手を伸ばす。
(さあ、もう一歩中に入って)
息を詰めてタイミングを見計らう私を見すかすように、チョコは、もう一歩を踏み出す代わりに、逆戻りしてしまった。私を確かめるように見上げるチョコに、慌てて何喰わぬ表情を作る。こんな行きつ戻りつを、2、3回繰り返し、チョコはとうとうトリを諦めてしまった。私の動悸が、空気の振動となってチョコに届いてしまったのだろうか。

翌朝、私はいつもと同じドライフードでチャレンジすることにした。私の膝には、甘えん坊のタマサ(首のところに玉模様が一つある子猫を、タマサブロウと命名。その半分、タマサが呼称となった)が乗ってくる。タマサのお皿にチョコが気付かないよう気を配りながら、チョコの動きを観察する。昨日の今日で、多少警戒気味のチョコは、例の行きつ戻りつをまた繰り返した。その度に、チョコは、
(大丈夫?食べても大丈夫?)
と問いかける視線を送ってよこし、私は
(うん、大丈夫、安心して食べない)
と、微笑みながら頷いた。
前日の動悸が嘘のように、私の気持ちは静まり返っていた。そんな私に安心したのか、チョコは、片足を外に出したまま、キャリーの奥のフードを食べ始めた。次ぎの瞬間、キャリーの扉はチョコの片足を押し込んで閉まり、守備よくロックされた。迷いのない流れるような一連の動作は、とても自分のものとは思えなかった。無声映画を見ているようだった。チョコはさすがに暴れた。扉をけ破りそうな勢いだ。私は、扉を壁側に押し付けてキャリーを置いた。それでも、キャリーはガタガタ横揺れする。3匹の子猫は、不規則に動くキャリーに上ったり下りたり、首をかしげて見つめたり、興味津々だ。捕獲の光景に、蜘蛛の子を散らすように逃げていくだろうという予測は外れた。私を怖がることもなく、タマサなど、私の膝の上に乗ってキャリーにパンチをくり出している。私は、ここでほっとため息をつき、事務所に戻って獣医さんに電話を掛けた。その声は途切れ途切れで、はじめて息が上がっていることに気付いた。キャリーをロープで十字に縛り、そのまま、獣医さんの元に運ぶ。チョコは泣き続けていた。先生に、妊娠しているかもしれない、と伝えると、万が一の場合は承諾を、と例の書面が目の前に置かれた。毎度のことだが、今回はなぜか一瞬ためらった。それでも、選択肢などあろうはずがなかった。
「先生の腕を信じておりますので、よろしくお願いします」
日頃口にすることのない言葉を繰り返している自分に気付き、ますます不安になりながら、事務所に戻った。

夕方5時、獣医さんから電話が掛かってきた。やはり妊娠していたという。
お腹はそんなに大きくなっていなかったけれども、外から見るのとでは大違い、4匹が、生まれてもおかしくない程に育っていたんですよ。
ああ、何ということ……。ああ、ああ、……………
見に来ますか?
見に行けるはずなどないではないか。母体から引きずり出してしまった子猫たち、チョコをもう少しそっとしておいたら、無事に生まれることのできた子猫たちに、どう対面すればいいというのか。
新たな家のない子猫4匹の行く末と、生まれる寸前で命を断たせてしまった子猫たちの幸不幸など比べようもなかった。それは全く違う問題だった。でも、私は生まれることのなかった子猫たちに会わなければならないのかもしれない。せめて、その辛さくらい、子猫たちに捧げなければならないのだろう。でも、できない。
母体への負担も大きいですからね、歳をとっていたら、かなり危険なんですが、この子はまだ若いから、何とか持ちこたえるでしょう。まだ、わかりませんけれど、今のところは順調………
お願い、チョコ、頑張って。持ちこたえて、何としても。それでなければ、私……

何をどう考えたらいいのか、わからなかった。妊娠しているかもしれないと知りつつ、避妊手術をお願いした。お腹の子供がうんと小さければ、やれやれ何とか間に合った、と安堵して終わりだったのだろうか。生まれても不思議ないほど育っていたから、こんな思いに潰されるのだろうか。私の思いは、子猫の大きさや形が作り出すのだろうか。命を思うなら、妊娠しているいかもしれない猫に避妊手術などできるはずもないのだから。
巡り合わせで目にしてしまった、そこにある猫の命に対しては、何をおいても助けたい、と私なりにできることをしてきたのに、同じ私が、命を切り捨てている。
この矛盾に、まことしやかな答はいくつもあるだろう。でも、それは答などではない。慰めでしかない。そして、今、慰めを求めること自体が罪に思われた。
苦しむことが、唯一の答なのだと思う。
なぜなら、私は、同じような雌猫と巡り会ったら、やはり避妊手術に連れていくだろうから。

一夜明け、事務所につくなり、獣医さんに電話を入れた。
順調ですよ。奥さん、この子にずっと話し掛けてきたんですか?この子、気は強いし、なつきこそしないけれど、話し掛けると顔を見上げて返事をするんですねえ。可愛いですね……
大丈夫?と聞かれたときに、大丈夫と答えた私を信じて、キャリーに入ったチョコ。私はチョコを騙し、頼まれもしないのに避妊手術を受けさせ、命の危険に晒し、痛い思いをさせて、子猫まで奪った。そんな私にどう反応するのかはわからないが、少なくとも獣医さんに敵意は持っていない。それが嬉しかった。

タマサたちのご飯を持って階下に降りる。いつも出迎えてくれるチョコの姿がないのは寂しい。チョコの泣き声がしないので、タマサたちも顔を出さない。
「おはよう。ご飯よ。さあ、起きて」
フェンスの隙間に向かって声を掛ける。タマサが先頭になって、3匹が寝ぼけ眼でやってきた。いつもと変わらない光景が、ことの他眩しく見えた。

明日、差し入れを持って、チョコに面会に行く。