ところてん (H16.4.27)

4年前、6匹兄弟が揃って我が家の家族になったとき、何を思ったか、おばあちゃんと、おとうさんと私で、2匹ずつを自分の子にした。
おばあちゃんの子は、ゴンちゃんと宮沢さん、おとうさんの子は、トンちゃんとエリちゃん、私の子がニセドとぬーちゃんだった。
しばらくして、おばあちゃんが、宮沢さんが眠くなったときに白目を出すのを嫌がって(冗談なのだが)私のニセドとトレードしたが、それ以外は最初決めたままだ。
もちろん、自分の子以外も等しく可愛がり、面倒を見ているのだが、『誰々の子』という感覚は、知らず知らず心に根を下ろしているようだ。
それが相手にも伝わるのか、猫たちもそれぞれの親に特別の感情を抱いているように見える。

特に顕著なのが、おばあちゃん子のゴンちゃん、おとうさん子のエリちゃん、おかあさん子のぬーちゃんだろう。
冗談半分に決めた『誰々の子』というラベリングが、人間、猫ともに、ここまで影響するのかと思うと恐いほどだ。
ゴンちゃんは、人一倍の怖がりのせいか、おとうさんや私が恐い人ではないと分かるまでに3年以上かかった。最近になってようやく、私たちにも多少甘えるようになったとは言え、目が覚めればおばあちゃんにだっこをせがんでいる。
エリちゃんは、見てはいられないほど、おとうさんにべったりの生活だ。おとうさんもまた、美人のエリちゃんに甘えられ、鼻の下を伸ばすだけ伸ばしている。
ぬーちゃんは、人間以上に周囲に気を配り、周囲の目も気にする性格だが、傍目のないことを確認しては、私にまとわりついてくる。
他の3匹も、これほど目立ちはしないものの、やはりそれぞれの親との相性が一番いいように見える。

おとうさんと私は、朝晩のわずかな時間と寝る間しか家にいないから、二人の子たちは、限られた時間の中で、いかに一対一で甘えるかを思案しているらしい。
傍目もはばからず、おとうさんにくっついているエリちゃんは、おとうさんが家で過ごす時間の全てを占有しているが、回りを気にするぬーちゃんは、人に気付かれずに私と寝たいがために、寝る時間が近付くと、私の動きと他の猫の視線を必死で追っている。そしてタイミングを見計らって、2階へ上がり私が来るのを待つか、しばらく後から2階へやって来る。宮沢さんは、私の朝風呂の時間を一人占めにしている。ああ、それからトイレにも一緒に入る。短いけれど、他の猫がやってこない二人だけの時間を満喫する。

ところが、最近、この3匹が必死で確保している大切な時間が、無神経な闖入者によって台なしにされている。
その闖入者は、ニセドだ。
ニセドは、どこからどう見ても6匹兄弟の長男。おっとりとしていて人が良く、それなりの風格を漂わせている。ところが、ニセドは、人がやっていることを真似する癖があるようだ。悪気があるわけではない。ただ、人がやっていることを、純粋に「いいなあ」と思ってしまうのだ。そして、「ぼくも…」となる。
ニセドは、2階で寝ることにしたのだ。

おとうさんが夕食を終えると、エリちゃんが、「さあ、寝ましょ」と頻りに催促する。おとうさんは、夕食後の一服もそこそこに、促されるままに席を立つ。エリちゃんは、居間のドアの前でおとうさんを待つ。おとうさんがドアを開ける。と、エリちゃんを追い越してニセドがドアを抜け、階段を駆け上がっている。エリちゃんは、もう面白くない。おとうさんと一緒に2階に行きたいのはやまやまだが、痩せ我慢して上がりかけた階段を逆戻りしてしまう。こうなるとエリちゃんは梃子でも動かない。エリちゃんの機嫌を直すためには、おとうさんがエリちゃんを抱いて2階に連れていくしかない。

エリちゃんは、これで一応納得するのだが、ニセドの2階行きのしわ寄せは、ぬーちゃんに及ぶ。ニセドが来たのでは、ぬーちゃんは私に甘えて腕枕で寝ることなどできない。せっかく前もって2階に上がり、私が来るのを待っていたのに、ぷいっと下に降りて行ってしまう。私の後からやって来たときも、そこにニセドの姿を見れば、そのまま回れ右して帰っていく。

そんなことが度重なるうちに、ぬーちゃんは、宮沢さんが私と一緒に朝風呂やトイレに入ることを発見。宮沢さんが来る前に、脱衣所で待つようになった。いつも通り私にくっついて脱衣所にやって来た宮沢さんは、そこに巨大なぬーちゃんの姿を見て、すごすご引き返していく。

ニセドの真似っこのお蔭で、以前の一対一の甘えの時間割はところてん式に押し出され、崩壊しようとしている。
Neco家の猫分布と時間割は、こうして絶えず書き換えられていく。
猫たちが作る新しい時間割はどんなものだろうか。