静かな攻撃 (H14.11.21)

最近の国交正常化まで、2階で鎖国生活を送っていた『らーちゃん』は、長老『ファイト』の存在すら知らずに、1年以上を過ごしてきた。ウッドデッキの完成と黒船ならぬ『トンちゃん』の来襲により、鎖国が解かれて1、2階の行き来が自由となって、『らーちゃん』は初めて痩せこけた老猫が我が物顔に家に入ってくるのを目撃した。しかも、通い猫の食事場所から、のっそり家に入ってきたのだ。我が家には自由に家を出入りする猫はいないはず。怪しい!くせ者だ!!『らーちゃん』は、何の警戒心もない『ファイト』に飛びかかった。虚をつかれた『ファイト』は悲鳴をあげ、駆け付けたおばあちゃんに助けられた。自尊心の固まりの長老『ファイト』はそのまま、外へ出ていった。

庭先から入って来たのがまずかったのだ、と勝手に理解したおばあちゃんは、しばらくして、玄関から『ファイト』を迎え入れた。結果は、同じ。『らーちゃん』にとって、庭先から入ろうが、玄関から入ろうが、見も知らぬ猫が勝手に上がり込んだことに変わりはなかった。全く同じ顛末で、再び『ファイト』は外に逃げ、以来、いつになく寒い11月を外の特別室で寝起きするはめとなった。

昨日は、私の休日。室内の猫たちは、ホットカーペットの上だの、ストーブの前だの、おばあちゃんのベッドの上だの、お気に入りの場所で昼寝をしている。私は、静まり返った部屋で、一人本を読んでいた。ふと庭先を見ると、珍しく『ファイト』がガラス戸越しに室内を覗き込んでいる。これからますます寒くなるのだから、家の中で暮らす習慣を取り戻させてあげたい…私は『らーちゃん』を2階へ連れていってから、静かに『ファイト』を招き入れた。暴れん坊の兄弟たちは、気付かずに眠っている。『ファイト』はクッションを積み上げた椅子に横になり、本当に久しぶりに寛いだ様子。ブラシをかけてあげると、ゴロゴロと、皆を起こしてしまいそうなほど大きく咽を鳴らした。外の特別室の中に入れた入り口の小さなドーム型のお家は、確かにほんのり暖かいが、湯たんぽを抱えるように大きな体を折り曲げて寝ていては、さぞかし窮屈だったろう。暖かい室内で、やれやれと体をのばすように、静かに横たわっている。穏やかに時が流れる。

どれくらいの時間が経ったろうか、2階から『ぱぱちゃん』と一緒に、問題の『らーちゃん』が降りて来た。『らーちゃん』は何も気付かずに、いつもの場所、ストーブの前に陣取って、眠り始めた。『トンちゃん』が自在にドアを開ける今となっては、再び2階を鎖国状態に戻すことはできない。こうして、そばに付いていてあげられる時に、うまく友好条約を結ばせることができないものだろうか。私を挟むように右の絨毯の上に『らーちゃん』、左の椅子の上に『ファイト』、その両方に神経を配りながら、目だけは本を追う。私が猫だったら、両耳が右と左にくるりと向いていることだろう。

しばらくして『らーちゃん』が起き出した。大きな欠伸をしながら立ち上がり、猫の背伸びをして、おもむろにこちらを向いた。ゆっくりと私の膝に上ると同時に『ファイト』を発見した模様。それでも体を硬くするわけでもない。私は、『らーちゃん』を優しく撫でながら、「あれは『ファイちゃん』。お家で一番偉いのよ。わかった?『ファイちゃん』は何もしないんだから、『らーちゃん』も手を出したりしちゃダメよ」と、懇々と言って聞かせる。『らーちゃん』もそれが分かったのか、静かに『ファイト』に近寄った。『ファイト』は、薄目を開けて様子を窺いながら、体はそのままに、左手をすーっと伸ばした。『らーちゃん』はその左手に鼻を近付けて、臭いを嗅いでいる。二人とも特に緊張した様子もない。いいぞ!この調子なら上手くいくかも!!

次の瞬間、『らーちゃん』は『ファイト』が横たわる椅子に飛び乗った。また臭いを嗅ぐのかな?と思いきや、いきなり、何の前触れもなく、『ファイト』の首の後ろに噛み付いた。まずい!!!「ギャアー」という悲鳴に一瞬遅れて、私は『ファイト』の首の後ろに手を差し入れた。『ファイト』は肝をつぶして、素早く別の椅子に避難した。悲鳴こそ上げたものの、幸い無傷。『らーちゃん』がどれほど本気だったのか知るよしもないが、毛を逆立てることなく、唸り声一つ上げるわけでもなく、猫パンチの一つも繰り出さず、注意深く見守る私の目の前で、いきなり急所に噛み付いた。喧嘩などという範疇には到底はまらない、生死を分けかねない攻撃。少なくとも私にはそう見えた。背筋が凍る思いだった。

私は『らーちゃん』をしっかり抱きかかえ、叩いた。「どうして何もしない『ファイちゃん』に噛み付くの?!」『らーちゃん』は耳を平らにして首を縮め、私の次ぎのパンチに備えている。いつもなら、さっさと外に出て行ってしまう『ファイト』が、なぜか今回ばかりは避難した椅子の上に座り込んでいる。『らーちゃん』が叱られていることに溜飲を下げたのだろう。相手が叱られれば、自分の面目は保てる。「ごめんね。『らーちゃん』は『ファイちゃん』に会ったことがないから、他所の猫だと思ったの。ホントにごめんね」…『らーちゃん』を2階に追いやり、居間のドアをしっかり閉めて、『ファイト』に謝った。

一夜が開けて、今思う。『らーちゃん』は本気じゃなかったのかもしれない。『ファイト』もそれを知っていたのかもしれない…と。だが、それを確かめる術はない。やはり本気だったと確認したときには悲劇が起きているのだから。これからますます寒さが厳しくなっていく。この冬は暖冬だと長期予報は報じているが、それにすがるような思いで、また外の特別室で体を折り曲げて眠る『ファイト』の骨だらけの体をさする。