一喜一憂 (H.15.3.26)

23日、おばあちゃんが泊まり掛けで出かけた。猫のことを最優先に考えるぱぱちゃんは、猫たちが一人で(10匹で)留守番しているのが、心配で堪らないらしく、お昼を過ぎたばかりだというのに、仕事を切り上げて家に帰るようにと、しきりに合図を送ってくる。仕事は山積、こんな時間に帰れる状態ではないが、この際、仰せの通りにいたしましょうと、パソコンの電源をそそくさと切り、オフィスを後にした。
柔らかな春の日を浴びながら家に帰るというめったにない幸せに、駅から18分という道のりを行く足取りも弾んだ。そして家には、信じられない喜びが待っていた。キャラリンがポストの上に座っていたのだ。半ば諦めかけていたのに、キャラリンがそこいることがちっとも不思議ではなく思われるのが、不思議だった。姿を消す前に少しはきれいになっていた皮毛も泥にまみれて束になり、目はキツネのように細く釣り上がり、ピンクの鼻も墨でも塗ったように真っ黒になっている。丸々3週間食べずにいた体はさすがに痩せたが、前回のようにふらつくということはない。近づこうとすると、相変わらず身をかわすが、その足取りは確かで、素早い。
走るように家に入り、さっそくミルクを作ってキャラリンに差し出す。寄って来るどころか、逃げるのもいつものことだ。再び家にとって返して、キャラリンが帰ってきた時にあげようと買っておいた鉛節を細かく砕く。好きなビーフの缶詰めと一緒に盛り合わせて、またキャラリンの元へ。お皿を差し出すたびに、ウッドデッキの下にもぐり込む。しばらくしてお皿を覗いてみると、誰が食べたのか、見事に空っぽだった。

翌日、帰って来たおばあちゃんもキャラリンに出迎えられたという。おばあちゃんも、さして驚いた様子ではなかった。心配しながら、諦めかけながらも、心のどこかで、キャラリンがこんな風に戻ってくる光景を思い描いていたのかもしれない。

キャラリンは戻ってからもログハウスに近寄ることはなかった。玄関先の住人の仲間に加わったと言わんばかりに、いつもファイトやロッキーママやお友だちの傍にいた。彼等もまた、キャラリンを受け入れていた。ログハウスには留守中、『縞々寄り目』の大猫がちゃっかり入り込んでいたりもしたから、それが気に入らないのかもしれない。

昨日は終日春の雨が降り続いた。ログハウスを覗くと、何事もなかったかのように、キャラリンが眠っている。やがて起きだし、ガラス戸の前に座ってご飯の催促をする。いつものキャラリンの生活パターンに戻った。じっと空のログハウスを見つめ続けていた室内の猫たちも、思い思いの場所で眠っている。


ファイトの食欲が落ちている。食べても食べても身にならず、これ以上痩せようのない体がさらに痩せるファイトだったが、人一倍食べ、身軽に塀に飛び乗り、散歩を楽しむ姿が見る者の心の救いだった。それなのに、このところ、何をあげてもほとんど手付かずに残っている。何日か前に鰹のタタキをあげた時は、あっという間に平らげたが、この2日は何も口にしようとしない。いつものようにお風呂に入るとやって来て、蓋の上で横になっているが、しきりと喉をゴロゴロ言わせる。きっと不安なのだろう。テッチャンもそうだった… 

昨日、ラブリー先生に連れていった。体重は2.5キロしかなかった。骨と皮、その骨もスカスカの軽石のようになっているに違いない。検査も兼ねて入院。一夜明けて今日連絡してみると、慢性腎不全がかなり進行して、食欲を奪ってしまっているとのことだった。輸液とインターフェロンのお陰で、食欲は戻りつつあるようだ。腎臓は、タイヤのようなもので、交換タイヤを使い果たしてしまった後は、どんなにすり減りろうが、そのまま走り続けるしかないと、ある本に書いてあった。老猫の宿命なのだ。そして、それが寿命。

残されたわずかな時間を、どう過ごせばいいのだろう。ファイトはどんな時間を望んでいるのだろう。6匹兄弟の出現で、家の中を嫌って外で暮すようになったファイトだが、それは決して本意ではないに違いない。少ない残り時間を家の中で、家族と一緒にと思うのは、人間の勝手な思い込みなのだろうか。