『キャラリン』どうした? (H14.7.7)

『カラリン』と改名した『シロちゃん』は、おばあちゃんが『カラリン』と発音できず『キャラリン』と呼ぶことから、正式に『キャラリン』と再改名。その『キャラリン』は、近ごろは食事以外の時間もNeco家の門灯の上やら玄関前の塀の上、おばあちゃんの三輪車の後ろのバスケットの中などで過ごすことが多くなった。いよいよNeco家を本拠に定めたらしい。

陽の光りの下で改めて眺める『キャラリン』の体は、3度洗い、4度洗いしなければきれいにならない程ドブネズミ色に汚れ果て、毛並みもボロボロ。口の中が痛くて毛繕いできないのかもしれない。目つきはするどく、庭先でご飯をねだる時の表情とは大違いだ。何とか一度お医者さんに連れて行きたい。シャンプーもしてこざっぱりさせてあげたい。こうしてNeco家にいる時間が長くなってきたんだもの、触らせてくれるようになるのも時間の問題だ。そう思いながら、びっくりさせないように静かに近寄る。『キャラリン』は警戒の眼差しでじっとこちらを見ているが逃げる様子もない。ご飯の時のように、やさしく穏やかに話しかけ続けながら、もう一歩近づく。OK、OK。それではネクスト・ステップ。そうっと下から手を伸ばしてみる。「ハーッ」と一声吹いて、塀の上をタッタッタッと歩き去った。まだ、ダメらしい。
食事については、一月ほど前から、一日に2回か3回、定期的に休まずご飯をねだりにくるようになっていた。最近ではメニューのより好みもするようになり、お好みの猫缶が出て来るまで、目の前のご飯には知らんぷりを決め込む。思い通りにならないと、居間の網戸によじ登り、「早う出さんかい!」と催促。食後、デザート代わりのキャット・ミルクを平らげると、静かに去っていくのだった。
ところが、この2、3日、食事にやってくる回数も一回に食べる量も減ってしまっている。毎晩、Necoの帰りを待っているかのように、一日の最後の食事をNecoからもらっていたのに、昨晩もその前の晩も姿を見せなかった。たまたま『ぽちのゆめ』の著者、斎門富士男氏のサイトの中に、口内炎は治療不可で、痛みのために次第に食事が億劫になり衰弱していく、という記述を見つけたばかりだった。1ヶ月ほど前、抗生物質を食事に混ぜてあげていたが、際立った改善が見られなかったことを思い出した。
今朝、その『キャラリン』が庭の椅子の下に座っている。その前で『クロちゃん』が本日2度目の食事をねだっている。Necoはいそいでミルクを作り、『クロちゃん』の前を素通りし、椅子の下の『キャラリン』の鼻先に差し出した。いつもは一歩下がるものの、その場でご飯が置かれるのを待っている『キュラリン』が、脱兎のごとく逃げ出してしまった。Necoが家を出るまで家のどこにも姿はなく、手付かずのミルク皿が梅雨明けを思わせる強い陽射しの中に残された。
『キャラリン』、どうしたの?体の具合が悪いの?食べられないの?
ミルクを差し出すことで、『キャラリン』を追い出してしまったのかと悔やみ、何もすることのできない切なさを抱えて家を出た。走って逃げた『キャラリン』のエネルギーだけが救いであり、慰めだった。