ラッキーストーン (H14.1.3)

 ラッキーが会社のベランダに姿を現したのは昨年の6月16日。そのたった1回のチャンスで見事に捕まえることができた。すぐに首輪とハーネスを買いに走ったが、それまでの間、ぱぱちゃんがだっこしていた。逃れる様子もなく、石のような固まりになって膝の上にいた。ワインレッドの首輪をはめ、ハーネスをつける時もされるがままだった。帰宅の車の中は、大きな洗濯袋に入れてだっこしていた。洗濯袋の中は、あったかい、毛の生えた、石だった。その不思議な石はおしっこをした。
 家に着き、おばあちゃんの腕に抱かれたのも、やはり石だった。おばあちゃんは、石の固さに驚いた。お風呂に入っても石。泣き声一つたてず、表情も変えず、両手両足を縮めたまま、泡だらけとなり、いい香りと湯気を放ちながら、バスタオルにくるまれた。ラッキーストーンは口だけを動かし良く食べ、ままちゃんのベッドで身じろぎもせずに一夜を明かした。翌朝、ラッキーストーンはおしっこでずぶ濡れだった。
 ラッキーストーンはすぐにトイレを覚えた。爪研ぎも覚えた。起きている間、無言の虐めを続ける先住者も、ラッキーストーンのご飯の時だけは無言の停戦条約を結んだ。ラッキーストーンは良く食べ、一回り大きくなったが、石の固さは変わらず、ついに先住者と別れて2階の住人となった。唯一陽の当たる2階をラッキーストーンに譲り渡してしまった先住者の日光浴のために、ときどき生活空間を交換した。ラッキーストーンは1階に移されるたびに椅子の上やら、絨毯の上やらにおしっこをした。マーキングではなく、ありったけのおしっこをじゃーとした。ラッキーストーンは2階の6帖2室とベランダから出ることはなくなった。
 ベランダに出ると、エアコンの室外機の上に乗って石になった。2階にある会社のベランダに上ってこられたラッキーなら、ベランダからお隣の庇にでも、物置きの屋根にでも簡単に飛び移れるはずだ。でも、いつ見てもラッキーストーンは室外機の上にあった。
 物言わぬラッキーストーンは、次第に喉を痛めているような潰れた声を出すようになった。しわがれ声の持ち主は日を追うごとにおしゃべりになった。ご飯を持って2階の部屋のドアを開けると、ドアの真ん前にラッキーストーンが正座していた。抱き上げたラッキーストーンの硬度が下がってきた。
 しわがれ声の濁点が次第に取れ、清音になってきた。石の硬度はさらに下がり、丸い石から手と足が伸びるようになった。喉からはゴロゴロという音が聞こえる。
 室外機の上から誰に向かって声をかけているのか、澄んだ大きな声が響くようになった。『らーちゃん』と声を掛けると振り向き、こちらに歩いてくる。お腹をなでると仰向けになって手足を投げ出し、喉を鳴らしながら大きすぎるお腹をむき出しにした。ラッキーストーンはラッキー餅になった。餅になるまで5ヶ月。
 一人で暮らすラッキー餅のために猫じゃらし、ぬいぐるみ、チュンチュン、鈴入りボール、エトセトラエトセトラが置かれているが、どの一つも置かれたまま、位置を変えない。多少反応する唯一のおもちゃ、猫じゃらしで遊んであげても、18歳の老猫のように寝転がったまま手を出すだけだ。ラッキーが走るのを見たことがない。
 この1、2ヶ月、それほどラッキーを虐めないエリちゃんが一日の大半を共に過ごしている。虐めないとは言っても、ときどきラッキーに突進し、猫パンチの真似事をする。しばらくは怯えて身を低くし『抜き足差し足』していたラッキーも、毎日のことに慣れてきたらしく、エリちゃんの突進のたびに、身をかがめることなく、ゆっくり自分の陣地の椅子に退散するようになった。このラッキーの退散がこたえられない快感らしく、女王エリちゃんはラッキーのそばを離れない。エリちゃんの同居で、ラッキーは6帖2室のうちベッドの置かれている1室を明け渡すことになった。それでもベッドで寝たいと泣きながら部屋の入り口にやってくる。ままちゃんが抱いてベッドに入れるが、エリちゃんの発する不穏なテレパシーにすごすごと陣地の椅子に引き返す。
 ラッキーよりずっと長くホームレスをしていたロッキーママは、Neco家に来たときから大福だった。御歳とって9歳か10歳になるというのに、かくれんぼ、鬼ごっこに興じ、ぬいぐるみ、ちゅんちゅんが大好きだ。ラッキーの6人(ロッキーを含めれば7人)の弟妹も、ご飯より遊び。それぞれが御用達の遊び道具を持っている。同じ血を引くラッキーだが、猫じゃらしめがけてお尻を振って突進してくる日が来るのだろうか。