向こうとこっち (H14.1.2)

 大掃除で廃棄処分と決まったダイニングチェアが2脚狭い庭先に置かれている。ひじ掛けの上には資源ゴミとなる段ボールが屋根のように乗り、ちょっとした小部屋ができた。そこに『お友だち』が座り、ピカピカに磨き上げられたガラス戸越しに居間を眺めている。夜の闇の中、居間からこぼれる灯りで『お友だち』の目は二つのライトのようだ。ガラス戸のこちら側では箱入り6人衆が『お友だち』を眺めている。
 去年の6月に『らーちゃん』がやって来るまで、箱入り6人衆は2階の部屋で眠り、居間のガラス戸はお出入り自由のファイトとロッキーママの体の幅だけ開いていた。だが、その出入り口を利用するのはこの2匹だけではなかった。夜遅くに帰宅した息子は、物音にご飯のお皿から顔を上げ慌てて退散する『お友だち』を何度も目撃していた。6人衆が代わる代わる不思議そうに臭いを嗅いでいるテレビにはマーキングの跡がいくつも残されていた。『らーちゃん』が来て2階が『らーちゃん』のスペースとなってからは、箱入り6人衆も1階で眠ることになり、以来居間のガラス戸はしっかりロックされている。『お友だち』の出入り口は閉ざされてしまった。ご飯は一日2回しっかりあげているとは言え、真冬の寒さは辛かろう。『くろちゃん』は『お友だち』との大合戦の後も、喉元過ぎれば何とかで、再び外の特別室(元々はファイトとロッキーママのために設えたもので、大型犬用のトラベルキャリーにフェイクファーのベッドを入れ、あったか不思議マットとフリースの毛布を入れてある)の客人、いや住人となっているが、遠慮深い『お友だち』は、特別室の一室を軒下に移動してあげたのに入ろうとはしない。クッションを入れたバスケットで眠るのがせいぜいだ。今、忽然と現れた椅子の小部屋に丸くなっている『お友だち』の目に、明るい居間の中はどう映っているのだろうか。
 その『お友だち』をこちらから眺めている箱入り6人衆は、このところ外に通じる戸を一つ一つ順番にこじ開けようと大変な努力をしている。うっかりロックをし忘れようものなら、例外なく全員脱走となる。脱走したあとの家の中は、えも言われぬ不自然な静寂に包まれる。この静けさは、6人衆が寝静まっている時の静けさとは全く異質で、その異質さが脱走を知らせる。そして脱走の度に大捕り物劇となる。網戸には2重のロックがついているが、それでも換気のためにドアを開けるときは監視を怠れない。ドアのロックを外すのも時間の問題と思われ、ロックをロックするようにしている。ロッキーと『なっちゃん』が車にやられるまで、我が家の飼い猫は全てお出入り自由だった。それが自然だと思っていたし、幸せだと思っていた。だがロッキーと『なっちゃん』の悲劇は、どんなに不憫に思えても猫を箱入りにするという鉄の意志を与えてくれた。がんとして開かないドアを何としてでも開けようと、来る日も来る日も必死の挑戦をくり返す6人衆が、今、ドアの前にずらっと並んで外の『お友だち』を眺めている。12の目には外の『お友だち』はどう映っているのだろう。
 向こうにもこっちにも幸せがあり、辛さがある。反対側の辛さを猫たちは知っているのだろうか。