2010/12/5 下着泥棒のお話から先、更新がないけど……とご心配をお掛けいたしました。
何と1カ月以上も更新から遠ざかってしまいました。
例年の通り、本業の繁忙期を迎え、残業に次ぐ残業で、全く時間が取れなかっただけで、体はいたって元気??です。
?を二つ付けたのは、11月に立て続けに2度転んだから。
1度目は、スーパーマーケットの駐車場。
背中にバックパック、両手に買い物袋、という格好で、駐車場を横切ろうとしたところ、タイヤ止めに躓いて、見事に転倒。
前の列のタイヤ止めに顔面激突してしまいました。
起きようと思ったのですが、滴り落ちる血の量にびっくりして倒れたままの姿勢に逆戻り。
その時には店長さんが飛んで来ていて、救急車が手配済みでした。
毛布と濡れタオルが次々に運ばれるという手際の良さ。
大人しく救急車に乗って、掛かり付けの病院に搬送していただきました。
幸いCT画像に異常は見られず、右目脇を数針縫合して無罪放免となりましたが、それからの数日は、顔面が腫れ上がり、会う人ごとにDVではない、と釈明を続けました。
それから10日後、抜糸のために病院に送ってもらい、車から降りて、旦那様に手を振った瞬間、今度は歩道の縁石に躓いてまたも転倒。
今度は、左胸の上部を打付けて、肋骨にヒビを入れました。
否が応でも自分の年齢を考えざるを得ないハプニングでしたが、ここまで大当たりするなら、買ってあった toto Big も6億円大当たりしてるだろう、と冗談を飛ばしながら、真剣に当たり番号と照合。
何せ11月は私の誕生月で星回りも強いのですから、転倒2回がちゃらになるようなことが起こるはずなのです!!
嗚呼、それなのに、それなのに、こちらの方はかすりもしない。

というわけで、まさに猫の手も借りたい時に、病院通いが加わり、ご無沙汰を重ねてしまいました。
いつの間にかもう師走。
お坊さんが走っても、私は走らず、足元を良く見て歩きたいと思います。
皆様もご自愛くださいますように……
2010/10/26

猫は一日に16時間は寝ると言われる。
朝、私が起きる5時ちょっとには寝室のドアの外に大挙して押し寄せているから、彼らの起床時間は5時頃だろう。
それから、出勤する私たちを見送るまでの4時間半は起きている。
夜は、私たちが帰宅する8時頃から2〜3時間はやはり起きているから、これで合計6時間半〜8時間目をさましていることになる。
ということは、計算上、日中はずっと寝ているはずなのだが、どうもそうではないらしい。
猫たちだけの留守番は退屈らしく、最近さまざまな事件が勃発している。
その筆頭が下着泥棒事件。
夜、帰宅して玄関ドアを開けると、私の下着が玄関から廊下に点々と落ちている。
頭の巡りが遅くなっている私には、一体何事が起こったのか、合点が行くまでかなり時間がかかった。
一日留守にする共働きの我が家では、不意の雨を避けるために洗濯物は室内干しにしている。
その洗濯物がおもちゃ代わりになったのだ。
だが、洗濯物と言ってもいろいろある。
その中から下着だけ、しかも私の下着だけを選んでいるのはどういうことだろう?
やはり、猫版下着泥棒なのだろうか。




2010/10/10

前回の更新の時は、トンちゃんの手がグローブになったお話をしたが、今回の主人公は、ぬーちゃんだ。

分厚い脂肪を身につけて、身繕いもままならないぬーちゃんが、必死で体をねじって、お尻を舐めている。
ウンチで汚れているのかと、ティッシュを抱えてお尻を覗き込むと、何と血だらけだ。
血便だったら大変だが、お尻のすぐ脇に直径1cmほどの穴がぽっかり開いていた。
感染症を起こしているようだった。
夜11時を過ぎていることもあり、傷口にゲンタシンを塗り、トンちゃんの時に処方していただいた抗生剤を飲ませ、エリザベスカラーを付けて応急処置をした。

翌朝、動物病院へ。
やはり肛門腺の感染症だった。
やれやれ、入れ替わり立ち代わり、よくもこんなにケガ人、病人が出るものだ。
だが、嘆く前に反省すべきは私?!
今回だって、もっと早く異常を発見していれば、穴の開く前に治療できたのだから。
思えば、このところ、一匹一匹を抱き上げて身体検査をするゆとりがなかった。
ご飯の時に、全員が食べているか、食欲はどうかを見るのがせいぜいだった。
何しろ、庭の金木犀が満開になっていることさえ、散り際になって初めて気づいた始末だ。
どうして、こんなに余裕がないのだろう。
仕事も一向にはかどらないし……
しかも、余裕がない割に、焦る気持ちも起こらない。
このままでは、まずい。
絶対にまずい!!
と、!マークを2つ付けても、お尻にも気持ちにも火がつかないのです。
困ったものです。
何をするにも、のんびり構えているから、時間をくってばかり……結果、睡眠時間がどんどん短くなって……
焦り薬でもあればいいのに……

何はともあれ、HAPPY HALLOWEEN!!




2010/9/26

お彼岸の墓参から戻った時のこと。
いつもは真っ先に玄関で出迎えてくれるトンちゃんの姿が見えない。
どこかで昼寝でもしているのかな、いつもの帰宅時間よりずっと早いから……
と納得し、一休みのお茶を飲んでいると、足下にすべらかな毛の感触。
トンちゃんが正座していた。
だが、右手をまるで「お手」をするように上げている。
どうしたことかと、抱き上げて右手を見ると、それはグローブのように腫れ上がり、左手より3回りも大きくなっている。
肉球もパンパンに膨れている。
血の後はなく、傷口も見つからない。
捻挫をしたか、どこかに挟んだか……
今下りたばかりの車にトンちゃんを乗せて、病院へ向かった。
先生の診断では、だれかに咬まれたのではないか、とのこと。
捻挫などでは関節部分が腫れて、このように手全体が腫れ上がることはないそうだ。
ケンカの形跡もなかったけどなあ……
湿布を塗り、ソックスを履かせ、抗生剤と消炎剤の注射していただいた。
明日からは、私が先生に代わって、湿布を塗り、抗生剤と消炎剤を飲ませることになる。
その晩、トンちゃんの大きな耳と鼻先は真っ赤になり、体は火のように熱くなった。
発熱するかもしれない、と聞いていたので冷静に対処できたが、この様子だと先生のおっしゃるように、膿みが爆発するように出てくるかもしれない。
覚悟をしたが、翌朝起きてみると、トンちゃんは首にしばったソックスを風になびかせて、走り回っている。
ソックスは空っぽ。
慌てて抱き上げて右手を見ると、腫れはすっかり引いて、元の大きさに戻っている。
びっこも引いていない。
熱ももうない。
改めて歯の痕を探すが、やはり見当たらない。
首をかしげながら、先生の指示に従って湿布を塗り、手をソックスに戻し、抜けないように首にしっかりくくり直した。
油断は禁物。
薬も飲ませたが、どうも腑に落ちない。
会社で仕事をしていても気になって仕方がなかった。
そうだ!!ふと気づいた。
トンちゃん、蜂に刺されたんだ!!
我が家には、クチナシが大好きなスズメバチ一匹を筆頭に、ハチが結構たくさんやって来る。
ラティスで囲っただけのテラスに居るときに刺されたのだろう。
危ないところだった。
すぐに下がったとは云え、あんなに熱が出たのだから……
思い掛けない危険が転がっているものですね。


2010/9/12

「ちょっと、これ、見てごらんよ」
お父さんがパソコンのディスプレイを眺めながら私を呼ぶ。
何かと思って覗き込んだ途端、私の目は画面に釘付けになった。
そこには仔猫を抱く猿の写真が6枚映っていた。
英国テレグレフのピクチャー・ギャラリーに掲載された記事の翻訳版だ。
その中の一枚でもここに載せたいのだが、著作権に抵触するので、リンクを開いて、まずご覧いただきたい。
バリ島、ウブドのモンキー・フォレスト
・パークに迷い込んだ仔猫を、若い雄ザルが我が子のようにかいがいしく世話をしているという。
雄ザルの仔猫に寄せる深く真剣な愛情と、仔猫がサルに抱く全幅の信頼が痛いほど伝わってくる。
私は、これほどの愛情を真っ直ぐに息子に注いできたのだろうか。
人間の場合、親として教え込まなければならない諸々の責任やら、子供への期待やらで、子の命を守り育てるという根本も、子への曇りない愛情も、見えにくくなってしまう。
私など、親として子に教えるべきことは一体何なのか、その核がはっきり分らないまま、枝葉にばかり目が行き、それに振り回され続けていたのだから、「親があっても子が育つ」の見本だったように思う。
猫たちと暮らしていると、私が知らず知らずに身につけた余分なものに気づかされる。
それは出来損ないの天ぷらの衣みたいなもので、分厚く、脂ぎっていて、肝心な中身はなかなか出てこず、ようやく探し当ててもすっかり台無しになっているのに良く似ている。
もっとシンプルに生きていれば、私もこのサルのように、迷いなく子供をこの腕にしっかりと抱けたのかもしれない。
万事遅すぎることはない、と気を取り直して、分厚い衣を少しずつでも剥がしていきたいと思う。

2010/8/29

間もなく9月だというのに、相変わらずの猛暑続き。
本当に秋はやって来るのだろうか。
夏から一足飛びに冬になってしまうのだろうか……などと邪推するのは人間だけらしい。
早朝から、ミンミンゼミやアブラゼミ、ツクツクボウシなどの大合唱が始まるものの、日が暮れるころには、鈴虫を筆頭に秋の虫たちが涼やかな歌声が聞かせてくれる。
秋は来ているらしい。
それにしても暑い。
長びく暑さが加担してのことか、このところトンちゃんの毛抜きが止まらない。
ゴンちゃんが亡くなる少し前当たりから、家中のそこここに、毛束が目につくようになった。
ケンカのときのふわふわあと舞うような毛ではなく、少しずつ束になって落ちている。
毛色からして、ニセドかトンちゃんのいずれかなのだが、二匹にケガの痕跡はない。
一体何があったのか、と訝しく思っていたが、ようやく毛の正体が判った。
トンちゃんが毛繕いをしながら、毛を引っ張っては抜いている現場を目撃したのだ。
人一倍繊細で、甘えん坊のトンちゃんには、一日の大半を猫だけで留守番し、ようやく人間が帰ってきても、ゴンちゃんの看病や家事にかかり切りで、一向に振り向いてもらえない毎日の寂しさが、やりきれなかったのだろう。
トンちゃんのその動作に、私ははっとさせられた。
知らず知らずの内に、私は、トンちゃんを心の同心円の外側外側に押しやってしまっていたのではないか……。
目撃したその日から、出来るかぎり長くトンちゃんと接し、精一杯のスキンシップを心がけた。
だが、毛抜きは収まる気配すらない。
トンちゃんの毛は、それは滑らかで肌触りが良く、『一撫で300円』という札でも下げようか、などと冗談を言っていたのだが、今はその毛も限りなく薄くなってしまった。
毛抜きは、一旦クセになるとなかなか止まらない。
これは私の経験でもある。
中学生だったころ、太くなったり細くなったり波打っている頭髪を一本見つけたのがきっかけで、これはどうかな、と髪を抜くことが続いた。
最初は興味だったものが、次第に動作だけがクセとして残り、ついには十円玉くらいのハゲを作ってしまった。
トンちゃんも、毛抜きがクセになってしまったのではないかと思うのだが、これは私の都合の良い解釈だろうか。
本当はまだまだ心が満たされないのかもしれない。
トンちゃんの毛抜きは、私の気持ちの狭さや、包容力の欠如を映しているのだろう。
そう思って、10匹の面々を一渡り眺めると、どの子も目の奥に寂しさをしまい込んでいるように見える。

2010/8/20 猫さんを除いて、主人と二人きりの生活が始まって8ヶ月。
結婚当初は主人の実家の敷地内の別棟で暮らし、東京に戻ってからの30年は、母と息子と4人暮らしだったから、二人というのは、ほぼ初めての経験だ。
母は生涯主婦現役を通したので、私が家事、特に料理をするのは30年ぶり。その手つきはおぼつかない。
段取りが悪く、仕事が遅い上に、変なところに神経質だから、夜8時を過ぎて帰宅する毎日の夕食は、9時半に始まる始末だ。
さすがに目にあまると見えて、主人は家事や猫さんの世話を分担してくれ、その範囲は日ごとに広がった。
野菜料理の好きな主人は、自ら調理にも挑戦している。
面と向かっては言えないが、本当にありがたい。
まだ洗濯機や炊飯器に触ったことがないが、この生活の中で、ひとりでに覚えていくだろう。
いずれ一人になる日の予行演習のようにも思えて、少々寂しい気もするが……。
主人にしろ、私にしろ、料理は新米だから、キッチンも食卓も賑やかだ。
レシピ本やさまざまな調味料に助けられて、まったくの失敗はない。
まずまずの出来を、二人で「美味しい、美味しい」を連発しながら食する。
互いの至らないところは、何気ない素振りで補うくらいの知恵はついている。
息子が独立し、母が亡くなり、と家族が一人減るたびに、残された人間の距離は縮まるのだろうか。
それでも、家族は多い方がいい。
いくら残された人間の距離が縮まろうが、だれかの不在を埋めることはできない。
二人暮らしの珍生活、いつまでもそれを愉快と思いながら暮らしていきたいものだ。
2010/8/8

快挙です!!
前回の更新から1週間で再び更新することができました。
気持ちいいですねえ。
もっとも8年前の『猫三昧』スタート当初は週に2回更新していたのですけど……。

昨年末、一回り大きい今の家に転居して、猫のケンカは少なくなりましたが、それでも雲行きが怪しい時があります。
以前のように、何針も縫うような傷を作るケンカはもうご免です。
加害者は決まって宮沢さんですから、宮沢さんを一室に閉じ込めれば安泰ですが、一人を好む性格ではないだけに、それも又ストレスになります。
さあて、と考えた末のグッドアイディアが、エリザベスカラー。
neco家には、これまでの病院通いで、エリザベス・カラーは4つもあります。
朝、険悪なムードの時には、これを宮沢さんに付けて出掛ければ、難は逃れられるというわけです。
やれやれ、と思っていたら、毛束があちこちに落ちているではありませんか!!
毛色からして、ニセドかトンちゃんの毛です。
なんで?と訝しく思いながら身体検査。
幸い2匹とも無傷です。
じゃあ、この毛束は何???
毛束は翌日も、その翌日も散らばっていました。
そして、ついにその原因を発見。
何と、トンちゃんが自分で毛を引っぱり、抜いていたのです。
皮膚病もなく、体調も普段と変わらない、となれば、ストレスでしょうか。
思えば、私たちが仕事に出ている日中の11時間は、猫たちだけでお留守番。
私が起きて家にいる間は、ドタバタドタバタと家事に追われ、さらに病気療養中のゴンちゃんの世話、と健康な猫たちとゆったり過ごす時間がほとんどないことに気づかされました。
人一倍、人が好きなトンちゃんは、満たされない思い、寂しい思いでいたのでしょう。
いつも急いている私自身の投影でもあります。
いかん、いかん。
そう思っても、家事が減るわけでも、時間が増えるわけでもありませんが、同じ家事も、私がほんの少しでも心にゆとりをもっていれば、家の中の雰囲気は変わるのでしょう。
今は、階段の上り下りに、トンちゃんとかくれんぼや競争をしたり、足にまとわりつくトンちゃんを肩に抱き上げて洗濯物を運んだり、とスキンシップを心がけています。
猫たちは、私たちの鏡だということを実感した出来事でした。



2010/8/1

キャー!!またしても丸々1ヶ月更新できずじまいでした。
この間に、お陰様で、決算という大仕事を終えることができました。
日々の仕事をそれなりにこなしながら、溜めた仕事を片付けることの大変さを思い知らされた数ヶ月でした。
5月に入り、日常の仕事は大分落ち着いてきて、もっと早くに机の仕事の山を少しずつ崩そうと思えばできたはずなのですが、その山の高さを見るたびに、やる気に火がつくどころか、やる気がへなへなと萎えて、結局ぎりぎりまで持ち越してしまいました。
学生時代の試験勉強は、やらなければやらないで、試験結果を考えなければ終わってしまうものですが、仕事はそうは行かないのですね。
決算こそ終わりましたが、実は机の上には、まだまだ小山がたくさんあります。
ここで安心、のんびりを極め込まず、コツコツを積み上げなければ!!
一番の敵は、やはりインターネット。
情報収集におけるインターネットのありがたさは言葉に尽くせませんが、猫に勝るとも劣らない好奇心の持ち主である私には、毒でもあります。
一つの調べものに始まるネットサーフィンは、好奇心の連鎖で止まる事を知らず、気づけば、まったく違う分野のサイトを次から次へと舞っている有様。
その日の仕事は手つかずのまま、夕刻までパソコンに見入っていることも珍しくありません。
こんな当て所ないネットサーフィンが、思いがけない展開を与えてくれることがあったりすると、それを理由に、さらにサーフィンが続くわけです。
パソコンのスイッチさえ入れなければ、もう少しまともな時間を送れるだろうと思うのですが、パソコンがなければ
仕事も進まない。
困ったものです。
毎朝、仏壇に手を合わせて、今日はちゃんと仕事ができるよう、お導きください、なんてお願いしてるんです。
本当に、本当に困ったものです。
さあ、明日から頑張ろうかな。
何で明日からなの???

2010/7/1 物事、良きに付け悪しきに付け重なるのが常で、母が入院して以来溜め込んだ仕事が一向に片付かないというのに、パソコンまでが不調となった。
私は、最初からMacユーザーで、ソフトもすべてMac仕様だから、今度も当然Macに入れ替えた。
本体だけ替えれば、と思ったが、ディスプレイに本体が内蔵されたiMacが半額ほどで買えるとあって、それに決めた。
だが、Photoshop, Illustrator などソフトをグレードアップしなければならない。
Macの難点は、OSがどんどんと変わるため、その都度ソフトを合わせて行かなければならないことだ。
お金も掛かれば、使い慣れるまで時間も掛かる。
じっくりとマニュアルと取り組む余裕などある訳もなく、これまでも適当にボタンを押して取り敢えずは使ってきたのだが、今回は、ホームページ作成ソフトに引っかかってしまった。
8年前、私はこのサイトを Page Mill というソフトで作った。
その後、パソコンを入れ替えた際に Go Live に替わったが、サイト全体をGo Live の方式に合わせることなく、新規ページのみ Go Live で作っていった。
そして今回、Go Live から Dream Weaver に替えなければならなかったが、これが大問題なのだ。
サイト全体を Go Live で構築してあれば、Dream Weaver への移行ソフトが使えるらしいのだが、このサイトには、古い Page Mill のページが混在していて、それもできない。
仕方なくオンライン・マニュアルを見てみたが、まるで地球の言葉とは思えない用語の羅列に理解不能。
新規ページは何とか作れるものの、アップロードできない、という苦難に立たされた。

機械物は苦手、携帯も電話をかけるだけで、携帯メールなど全然できない私が、パソコンに精通しているはずもなく、まさにギブアップ状態だったが、このサイトを私自身のライフワークにしたい、という思いが通じたのか、FTPソフトをダウンロードすることを思いついた。
そして何とかアップロードしたのが前回の更新だ。
6月5日に作ったページを10日遅れでアップロードした理由がこれである。
いつもその場しのぎでやっていては、いずれもっと大きな壁にぶち当たるのだろうが、当面その場しのぎは続きそうだ。
2010/6/6

ゴンちゃんの体調が突然、ガクンと落ち込んだ。
トンちゃんが大腸炎を起こし、病院へ行った水曜日、ゴンちゃんの体全体を波打たせるような呼吸が目立たなくなってきた、と先生に嬉しい報告をしたまさにその時から、ゴンちゃんは自分のベッドのある2階の部屋の片隅で、冷たいフローリングに体を横たえ、荒い息で命をつないでいた。
あまりの衰弱に、病院に運ぶことも憚られ、胸の詰まる思いで見守るしかなかった。
その辛さに日記をしたためたが、ゴンちゃんを一人部屋に隔離して安静にさせたことが助けとなったのか、ほんの僅かずつ危機的状況から立ち直ろうとしている。
決して楽観は許されないが、食餌など無理強いすることなく、ゴンちゃんの声を一番に考えながら、その時その時に必要な手助けをしていこうと思う。

前回のこのコラムで、加藤一二三氏の裁判に触れたが、何らかの後方支援ができないものかと思い、まずは事実の経緯を知るために、サイトを検索した。
http://inunekokyusainowa.la.coocan.jp/katousi-noranekoesayarisaiban.html
に昨年から今回の判決に至るまでの経過が記されていた。
加藤一二三氏が、世話をする猫の去勢・避妊を行ってきたことは報道で聞き及んでいたが、里親探しも積極的に行い、一時20匹近くいた猫が現在では2匹にまで減ったこと、自宅の専用庭にトイレを置き、周囲の清掃も行って、裁判官等が異例の現地視察を行った際も、不衛生なところは認められなかったこと、原告以外の近隣の住民は加藤氏の活動に対し好意的であること、等を知った。

前回、ここに、猫に餌を与えることを禁ずる判決ではなく、糞尿の管理を徹底せよ、ぐらいのことを言えないものか、という内容のコメントを書いてしまったが、それは全く適切ではなかった。
糞尿の管理もきちんと行われいたのだ。
事実を十分に把握せずに、思いつきで書いたことが恥ずかしく、加藤氏に心からお詫び申し上げなければ、と思っている。
残念なことに裁判所のHPにこの裁判の判決文は掲載されておらず、裁判官の真意を知るためには、裁判所に出向いて判決文を閲覧するしか方法はなさそうだ。
だが、どうやら本件は、人間関係の縺れが招いた問題であり、猫はそのとばっちりを食ったように見える。
本件に限らず、猫の問題は、常に人間の問題に集約される。
猫の命が救えるなら、いくら頭を下げても良い、という人もいるだろう。
猫の尊厳にかけて、臆することなく堂々と世話をする、という人もいるだろう。
どちらにせよ、世話をする人間は、その言動を通して、猫を疎んじる人々が地域猫活動を自然な形で理解し、許容し、協力していけるよう、導く責務がある。
その人間への働きかけこそが、地域猫活動のゴールだと思う。

2010/5/14 またまた一月もご無沙汰をしてしまいました。
ご心配をお掛けしておりますゴンちゃんですが、利尿剤の力で腹水も胸水もほとんど体外に出せたようで、体重も1キロ減りました。
心臓は相変わらず不整脈が出ている状態ですが、2種類の強心剤と心臓への栄養剤の服用で、落着きを保っています。
血小板減少症も、ステロイド剤の効果で正常値ぎりぎりにまで回復しました。
朝に晩に小皿に一杯の薬を飲むのも、飲ませるのも辛いのですが、お陰様と感謝しています。
その間に、宮沢さんが目尻に猫パンチを喰らって、縫合する、という事故があり、さらにエリザベス・カラーの死角で足を踏み外したのか、着地に失敗したのか、左前足を痛めてしまいました。
などなど、報告している場合ではありませんね、今日は。
皆様も気に病んでおられることと思いますが、加藤一二三氏の餌やり民事訴訟に判決が下りました。
恥ずかしながら、それを知ったのは、今朝6時頃の『朝ズバ』。
相も変わらず、無責任、不用意なみのもんた氏の発言に、怒り心頭に発しました。
コメンテーターの方の発言で、多少バランスは取れましたが、今日は何をおいても番組宛てに一筆啓上せねばと意を決しました。
朝の用事を済ませて、部屋に戻ると、『朝ズバ』は再び加藤一二三氏の判決について論じていました。
あれ?みのもんた氏のトーンが随分と変わっています。
先刻の発言に、クレーム電話が鳴り止まなかったに違いありません。

会社に着くやパソコンで、『加藤一二三、猫』のキーワードで検索したところ、出てくる出てくる。
この問題を巡っては、以前から広く運動が起こっていたようです。
問題の発端と経緯を詳しく知ってから物言うべきとは思いますが、地域猫活動が猫問題を解決する大きな柱として行政も認めるのであるならば、裁判の判決も、そうしたゴールを視野に入れたものであるべきではないでしょうか。
敷地内での餌ヤリを禁ずる代わりに、猫トイレの設置と管理を義務づける、といったような、もう少し気の利いた判決が書けなかったものかと、情けなく思います。
こうした訴訟の背景には、当の猫ではなく、関わっている人間の間のコミュニケーション力の問題が少なからずあるのでしょうが、コミュニケーション力の多寡で猫の生死が左右されるようなことは絶対にあってはならないと思います。
それには、猫好きも猫嫌いも地域猫の活動を支援していく心的土壌作りを、行政ばかりでなく司法も目指すべきではないでしょうか。
近視眼的な判決は、猫問題の根本を解決しないばかりか、動物虐待の火付け役ともなりかねず、この問題を巡る人間の争いごとを増やすばかりです。
加藤一二三氏の問題については、一度じっくりと経緯を調べ、必要なアクションを起こしていきたいと考えています。
2010/4/10

昨年の9月、劇症肝炎を突如発症し、すんでのところで命拾いをしたゴンちゃんは、見事な回復振りで、もの凄い甘えん坊になった以外は、すっかり元に戻った。
常用する薬もなく、安心していたのだが、2月の下旬だったか、3月に入った頃だったか、ご飯を食べにやって来ては、匂いを嗅いだだけで立ち去るようになった。
前回と同じ様子だ。
さすがに二度目となれば、病院へ連れて行くのも早い。
血液検査の結果、前回程ではないにしても、数値は極端に悪かった。
肝機能の
数値ばかりでなく、血小板の数が異常に少ないことも判った。
体内で出血をしているとは考えにくいので、おそらく自己免疫で血小板を破壊しているのだろう、とのこと。
肝臓の薬に加えて、血小板を増やすためにステロイド剤を服用することになった。
薬効は覿面で、ゴンちゃんは嘘のように元気を回復。
人のご飯まで横取りする食べっぷりと、夕食時に私の膝に上ってきて、後足で立ち、両手を私の首に回して顔を押し付ける甘えのポーズも復活。
10日後の血液検査では、血小板、肝機能ともに数値は正常に戻り、そのままの投薬を1カ月続けることになった。

とここまでを先週末の更新時に書く予定だった。
その更新はできずに、一週間延期。

その間に、ゴンちゃんの容態が急変した。
1カ月分のお薬をいただいた僅か数日後に、再び様子がおかしい。
食事には顔を見せず、一人ぽつりと二階の一室で横になっている。
食欲がなくなった時でも関心を示すとっておきの猫缶をお皿に開けて鼻先に持っていけば、不承不承食べるものの、普通ではない。
またも病院へ。
数値はまたも悪化していた。
そればかりか、この数日で体重が300gも増えている。
その時は、強引に食べさせ過ぎたせいかと思ったのだが、これが腹水の重さだったことがじきに判明する。
ステロイド剤を短期間3錠服用することになり、4日後の予約を取って病院を後にした。

いつものパターンなら薬の力で見違えるほど元気になるはずだったが、容態は悪化の一途を辿った。
食欲はますますなくなり、納戸の棚の陰や、押入の奥に身を隠すようになった。
怯えるゴンちゃんを安心させようと体をさすっていた時のこと、お腹の触り心地がいつもと違うことに気づいた。
ゴンちゃんは、もともと6キロを越える肥満猫だが、このタプタプ感は脂肪ではない。
水!!
予約の日を待つことなく、病院に駆け込んだ。
体重はまた250g増えていた。
エコーで腹部を診ていただき、間違いなく腹水と判った。
血液と腹水を検査していただく。
血小板も肝機能も改善されていた。
だが、確実に全身状態は悪くなっている。
腹水に濁りはなく、含まれる細胞数も少ないことから、感染症などの炎症が原因ではなさそうだ。
エイズも白血病も腹膜炎も陰性。
残る可能性は、心臓疾患かガンによる鬱血性の浮腫。
翌日心臓の検査をすることにして、まずは利尿剤を服用することになった。

帰宅してキャリーを開けると、ゴンちゃんは、階段を一段一段ゆっくりと上って行った。
また、納戸の棚の陰にでも隠れるのだろう。
ご飯を持って2階に上がると、ゴンちゃんは、納戸の入口に身を伏せていた。
もう、飛ぶこともできないのだろうか。
あまりに急激な変化に戸惑った。
ご飯には顔を背けたまま、臭いすら嗅ごうとしない。
ゴンちゃんは、その後、私の書斎の棚の一番下に移動した。
ここを最期の場所にしようとしているかのようだった。
私は、その脇に柔らかくて平らなキャットベッドを置いた。
朝を迎え、ゴンちゃんを見に行くと、ゴンちゃんは、そのベッドに伏せていた。
私が撫でようが、他の猫が近付こうが、身動き一つしない。
利尿剤の効果はあったのだろうか、と隣の部屋に置いてあるトイレを覗く。
効果は確かにあった。
だが、その痕跡はトイレの中ではなく、周囲にあった。
トイレの周りが水びたしだった。
どうやらトイレの縁をまたぐこともできなかったようだ。
おしっこがたくさん出て良かったねえ、とゴンちゃんの背中を撫でながら、時計を早回ししているような状況に気持ちが追いつけずにいた。
予約の時間までなど待てるはずがない。

抵抗もしなくなったゴンちゃんを一回り大きなキャリーに入れて、病院に向かった。
体温はすでに低下していた。
「ゴンちゃん、こんなに簡単にオサラバなんて、しないでよ」
私の言葉に、先生は
「そうだよ、まだ早いよ」
半分以上覚悟を決めていた私に、先生の一言は微かな希望を与えてくれた。
ゴンちゃんは、今、病院にいる。

2010/3/14 更新再開、と勇んでみたものの、またまた1カ月更新できずじまいだった。
1カ月という時間の間には、多くの出来事に遭遇するもので、このコーナーに書こうと思ったことも山ほどある。
その内の一つ、2、3週間前のことだ。
急に春たけなわのような温かさになった日があった。
帰宅する車で、最後の角を曲がったとき、夫が訝し気につぶやいた。
「あれ、何だ?石?」
夕方からの雨で青黒く滲んだ道路の真ん中に不審物発見。
手前で車を止めてもらい、正体を突き止めようと近付く。
なんと、それはカエルだった。
辺りを見回すと、至る所にカエルがいた。
お隣の庭からは、気持ち良さそうなカエルの合唱が聞こえている。
こんな光景に出会ったのは初めてだったから、それはそれは驚いた。
ご一行様、一体どこからやって来たのだろう。
善福寺池はここから300メートル程だ。
目ざましでも鳴ったように、一斉に冬眠から目覚めたカエルたちが、ピョコタン、ピョコタンと坂道を上ってくる様子を想像して、思わず口元がほころんだ。
ともあれ、道路のカエルさんにはどいてもらわなければならない。
物置から手袋を取り出し、一匹一匹端に寄せる。
道路に出たら、車に轢かれちゃうんだからね。
諄々と説いて聞かせたのだが、冬眠明けの寝ぼけた頭に届いたかどうか。
道路から奥まった我が家の門柱のところにもカエル君はいた。
さあ、これから車が入って来るからね、こっちに来ちゃだめよ。そこに居るのよ。
と、一回り小さな青年カエルに言い聞かせた。
車のテールランプがこちらに向かって来る。
オーライ、オーライと声を掛けながら、カエル君に目を移すと、何と、そのカエル君、「これなら大丈夫?」と言わんばかりに、後足で立って、塀にへばりついていた。

それからしばらくは、毎晩、カエル移動という作業が加わった。
カエルの姿もなく、声も聞こえなくなった今、そのひとときが妙に懐かしい。
ご一行は一体どこへ帰っていったのだろう。
今度はピョコタン、ピョコタン坂を下って、善福寺池に戻ったのだろうか。
2010/2/14 ニセドの顔、変じゃない?と良ーく見ると、下顎が腫れている。
触ると硬く、外傷らしい外傷も見当たらない。
歯周病かと疑うも、ご飯は普段通り、痛がる素振りもなく食べている。
顎をぶつけたのかしら?
取り敢えず、手持ちの抗生物質を飲ませた。
効果覿面、翌日には腫れは引いていた。
それから10日ほどが経ったろうか。
またまた、ニセドの下顎が腫れ始めた。
再び抗生物質を飲ませたが、今度は効果が見られない。
痛いのか、押入で踞っていることが多くなった。
2、3日様子を見たが、一向に腫れは引かない。
病院で診ていただいたが、考えられる原因は腫瘍か歯周病だという。
ただ、一旦抗生物質で腫れが引いたこと、また急激に晴れたことから、腫瘍は考えにくいとのこと。
歯周病の可能性は大きいが、歯にぐらつきはない。
場所が場所だけに、X線検査をするには、薬剤を投与して体を動かなくさせなければならないので、まずは、抗生物質を10日飲んでみて、ということになった。
大小2種の抗生剤を一日1錠ずつ飲ませ、3日目のこと。
家に帰ってみると、床がいたるところ血に染まっていた。
すぐにニセドを探しに押入を覗いたが、血沫の痕はあれど、姿がない。
どこへ身を隠したのだろう……押入の前で立ち尽くし、隠れそうな場所を思い描いていると、足下で声高にご飯を催促する猫が一匹。ニセドだった。
顎からは、血膿が雫になって落ち、胸も両腕も血に染まってはいるが、腫れ上がっているときより楽になったのか、顔には表多少情が戻っていた。
それでも、この夥しい血膿は何とかしなくては……。
大きなバンドエイドを貼ってみたが、1分ともたない。
先生に連絡すると、出るだけ出してしまいなさい、とのこと。
後でせっせと掃除するとして、自然に任せることにした。
ニセドのご飯皿には、山盛りのご飯と引換に血溜まりが残った。
翌朝、押入に敷いておいたタオルが血染めになっていることを覚悟で覗くと、ニセドの眠気の覚めやらぬ目とぶつかった。
タオルに血の痕跡はまったくない。
いくら拭いても取れなかった腕や胸の血もすっかりきれいになっていた。
顎の下に直径1センチの穴こそ開いているが、腫れも大部引いている。
このリカバリーの早さ、自然に備わった治癒への力を目の当たりにし、畏敬の念と感動で胸が一杯になった。
今日で10日分の抗生物質は全部飲み終える。
ニセドは、人の良さそうな長男顔に戻り、時と所かまわず大きな声でご飯をねだっている。
一体、今回の原因は何だったのだろう。
近々病院へ連れて行こうと思う。
2010/1/31 中学時代の同級生が婚約をした。
相手も同級生。
アラカンとなってのクラスメイト同士の結婚と聞いて、急遽お祝いの会が開かれた。
ショートノーティスにもかかわらず、41名の生徒(?)の内27名が出席したのだから、いかに皆の好奇心をかき立てたかが判る。
さすがに二人に浮ついたところはなく、しっとりと穏やかな幸せが漂っていた。
デジカメを常に携行する私は、そんな二人の表情をせっせとカメラに収めた。
と、その時、はたと気づいた。
この写真を見ながら、「あの○○さんと□□君がねえ……縁とは不思議なものねえ」などと40数年前の面影を思い浮かべながら語り合う筈の相手がいないことに。
一人っ子の私には、結婚するまでの23年を共有する人が家族の中にいなくなってしまったのだ。
母を失うということはそういうことなのだと判り始めた。

母の逝去を知った『猫三昧』の読書の方から、あたたかいメールをいただいた。
母がゴミ出しに行く度に、ロッキーママとファイトとご近所のジロちゃんが連れ立って付いて行く、というneco家の日常の一コマを思い出します、と書いてくださった。
その微笑ましい光景を残してくれたロッキーママもファイトもジロちゃんも母も、もう居ない。
人も猫も、私と時を共にしてくれ、かけがえのない想い出を残してくれた。
だが、共に知ることを語り会えるのは人だけだ。
嗚呼……
2010/1/23

皆様、本当にお久しぶりです。
更新できずに3カ月半が過ぎてもなお、『猫三昧』をご覧いただいている皆様に心から感謝申し上げます。
そして、こうして再び更新できますことにも、感謝の念で一杯です。

今日で母が亡くなって34日、終の住処と決めた家に越して25日。
ご無沙汰の間に、私にとっては人生最大の出来事が重なって起きていました。
看病と家事と仕事と引越準備の4つを綱渡りのような状態でこなしたのですが、残念ながら万事目出度し、とハッピーエンドにはなりませんでした。
母への感謝を込めて作った「おばあちゃんの部屋」に、母は暮らすことなく逝ってしまいました。
終の住処が心地良ければ良い程、母が居ないことが無念でなりません。
内猫さんの引越パニック、外猫さんとの別れ……猫事情もずいぶんと変わりました。
猫本も随分読みました。
病院通いの2カ月の間、電車で読む猫本が、私の唯一の救いの時間でした。
3カ月半の間に溜め込んだ諸々を、これから一つ一つアップロードしていきたいと思います。

今後ともご支援、よろしくお願いいたします。