齋藤清の猫

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齋藤清という版画家の存在を知ったのは、恥ずかしながら昨年の終わりのこと。
海外のサイトをネット・サーフィンしていて、K. Saito の猫の版画を見つけたのがきっかけだった。太いシンプルなラインで描き出された二匹の猫は、鮮やかなブルーの地から這い出すような迫力があり、息をつめて何かを見つめる二匹の胸の鼓動まで聞こえてきそうだった。その画風はモダンで、漠然と抱いていた日本の版画のイメージから掛け離れたものだった。

さっそく日本の検索エンジンで、『斉藤、版画』というキーワード検索を掛けた。そして初めて、齋藤清氏がいかに大きな存在なのかを知った。2007年は氏の生誕100年にあたり、全国各地で企画展が開かれたようだった。海外のサイトで私の目を釘付けにした作品は、『凝視(二匹の猫』と題された1952年の作。アメリカでは、ウォーホールが盛んに猫の Sam を描いていた頃と一致する。そして私が生まれた頃でもある。そんな時代に、日本の風土からこのような作品が生まれたことに、私は改めて驚かされた。そればかりではない。同年、氏はニューヨークで個展を開催しているし、前年の1951年にはサンパウロ・ビエンナーレで受賞している。氏のプロフィールは、福島県やないづ町立斎藤清美術館のホームページに詳しい。

氏の作品は、海外でも評価が高いのだが、その一因は時代背景にあるようだ。戦後復興期、駐留米国軍人は、手頃で時代にマッチした氏の作品に目を留め、競って蒐集したという。アメリカで今も氏の作品が多数流通しているのも頷ける。

齋藤清と言えば、ライフワークでもあった『会津の冬』シリーズに代表されるのだろうが、その中にあって、なぜか猫の作品がたくさんある。もともとは猫に特別な関心はなかったようだが、友人宅で出会ったシャム猫が、氏の心を捉えてしまったという。しなやかな体の線、青く澄み強い視線を送る目……アーティストの例に漏れず、氏も強くインスパイアされたのだろう。氏は友人から猫二匹を譲り受け、以来、彼らはモデルとなり今も作品の中で生きている。

氏が特に惹かれたのは、「目」だったと見え、「凝視」「目」と題された作品が目立つ。猫の目に何を見たのか、氏の犬の作品と見比べてみると興味深い。

氏の猫の作品は高価でもあり、流通も少なく、簡単には手に入りそうもない。いずれ是非ともと願いながら、当面は、アート・プリントで我慢することにした。齋藤清美術館にさっそく発注。額装されたプリントが届いた。

以下、国内外のサイトで見つけた斉藤清の猫をご覧入れよう。
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